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うつろぐ

文章

場と欲求について

はい うつです 発表会以外でブログを書いていなくて「発表会にしか思うことがないのかよ 発表会大好きかよ」となってしまったので書いています まあ他にきっかけもあったりするんですけどだいたいそんな感じです いかに自分が何もしてないか伺い知れますね

 

まずそのきっかけから書こうと思います

きっかけ

僕が入った学科ではパソコンがまあ必須なのですが、一年生のうちはVAIOくんを学校側が貸してくれます 今もそれでこの記事を書いてます 二年次からは自分で買ったパソコンを使わなきゃならんのですけど...早く買いたいですね 僕の家には一応家族のパソコンが一台あってそれを使ってウディタいじるくらいはやってたのですが、自分のパソコンを所有したことがなかったのでVAIOくんが来たときはそりゃあもうテンション上がりましたね そのころはコーディングも「やっていくぞ!!!」という感じでしたね 僕は受験期とかは自分の部屋では色々なもの(ゲームとか)が目に入って勉強できずにずっと図書館で勉強してたような人なんですが、このころのパソコンに関してはもうテンションが上がりすぎて自分の部屋でもコーディングとかにほぼ100%集中できていました すごい。 

ただ、最近になって「自分のパソコンを(買ったわけではないけど)所有している」という新鮮さもなくなってきて、部屋でコーディングするとゲーム(主にモンハン)が気になって、結果無限にモンハンをしている、という状況になってきたので、「これは自分を取り巻く環境について考えるべきなのでは...?」となって、「場と欲求について」というタイトルの記事でそれを考えようとしています。ほぼ自分用なので、皆さんに当てはまらない部分が多々あるし殆ど箇条書きなのですが、皆さんに当てはまることも少しあるかと思います いやなんでこんなに自信があるの

「場」ってなに

ようするに「自分を取り巻く環境」のことです なんか「場」がかっこよかったのでこういう表現にしました 中二病なので 「『もの』を保有している空間」みたいな定義もできそう この先「もの」が重要になるのでこういう書き方もしておきます

欲求に勝つのがつらい

この記事の前提として「できるだけ欲求に気の持ちようのゴリ押しで打ち勝つことはしたくない」というのがあります 僕の単なる欲求です 中毒体質なので

人間はその「場」にある「もの」に対する欲求でしか動かないのではないか、と思います 図書館で勉強しているときにスマホがあるのとないのとではだいぶ効率が違うと思います そういうことです 自分自身、勉強をそんなに楽しいものだと思っていないはずなのにスマホがないだけで勉強が楽しくなる体験を何度もしています ただ長時間やっていると飽きるので限度がありますが... 

こういう意味ではその「もの」に対する欲求の強さというのがすごく大事です 前述のように、家という「場」には色々な「もの」があって、作業の欲求より強い欲求が向いている「もの」があると十中八九そっちに吸い取られてしまいます こういう意味では図書館は最強の作業空間と言えると思います(図書館は静かすぎて勉強しずらい...みたいな人もいるみたいです わりとわかる ただ欲求とは別の観点なのでおいておきます)

ここからはかなり個人的な話なので小文字で書きます 僕は人のいないところでは当然のように独り言を垂れ流すタイプの人間で、独り言を言って自然に言葉にすることで考えがまとまったりします 個人的に黙々と書き出していくより好き なので、それができない図書館などではモヤモヤすることがあり、しかし自宅ではモンハンに吸い取られてしまうので、自分としては「机と椅子しかなくて自分しかいない空間」が真の理想の作業空間だったりします

また、こういう観点で考えるとゲームセンターはめちゃくちゃヤバい場であることがすぐにわかります ゲームしかないんだもの 僕はゲーセンに行くと有り金を全部はたいてチュウニズムやってることとか結構あります めちゃくちゃ体力消耗するし時間も溶けるしやめたい めっちゃ混んでたりするとすんなりやめられたりするので逆に助かったりします

「移動」

地味に重要なのですが、「移動」は何も「もの」を含んでいない「場」だと捉えることができます この点では図書館と同じなのですが、「移動」では両手が塞がっていたり座れなかったり机がなかったりするので基本的になにもできません この「移動」にいる時間が長かったりするともう完全に無ですよね 欲求不満が爆発する なので人間は「移動」から基本的には逃れたいと思っていると思います

ただ、「移動」にも利用価値があって、「移動」にいる間は基本的に頭しか使えないので、無限に考え事をすることができます 何の邪魔もないので最高 しかし、移動中にノートに考えたことをきっちりまとめたりすることはなかなか出来ないと思います スマホにメモればよさそうですね スマホすごい ただ自分は紙やノートにまとめる方が好きなので、これも不満だったりします めんどくさい人間だ

この「移動」の無から逃れる方法は、本を読んだりスマホをいじったりとかしかないと思います スマホすごい(2回目) 飽きない限りは「移動」の無から逃れることができます

 

ここでめちゃくちゃ個人的な話をします

スマホ壊れました

 

アーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あと自分は本にあまり興味がなく、なかなか電車の中で読むような本を探す機会が取れません...

なのでここからは完全に個人的な話になりますが、「移動」を完全な「無」だとしたときの一日の中での「場」について考えていきたいと思います

「場」の分析(うつくんの場合)

「移動」が完全に無だと、移動途中に「もの」を含んだ別の「場」があるときに、欲求を叶えるためにその「場」に寄り道しがちです 僕は十中八九そうなります

それを中心に、「午後のみ授業がある日(バイトなどほかの予定はなし)」を考えていきたいと思います

まず、出発地点が家で、あまり作業ができないので、出来れば早めに大学に着いて大学の図書館で作業をして進捗を出したいのですが、家の先には「移動」という「無」が待っているのであんまり家を出たくありません ここで「授業に間に合うギリギリの時間まで家から出ない(①)」と「頑張って早く家を出る(②)」の2パターンを考えたいと思います

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手書きのきったねえ図

図の見方ですが、行動が進行するにつれて上の「家」から下か左右に移動していき、最終的に下の「家」にたどり着いて終わり、という感じです 因みに大学に行くまでの途中の駅や大学の最寄り駅にゲーセンが山ほどあります

この図を書くにあたって思い付く限りの「場」を考えてみましたがこんなもんでした

①では行きは時間ギリギリなのでゲーセンに行く余裕がなく「移動」から「ゲーセン」への道はありません 帰りがやばそうですね

②では行きにも時間の余裕があるので行きもゲーセンに行ってしまいそう 欲求に飲まれてしまう

どちらにしても、「移動」からの「ゲーセン」を防ぐ構造はあまり無かったので、もうとっととスマホを修理するなり本に興味を持って本を借りるなりするしかなさそうでした 残念

なんか

「移動」の「無」のことを考えていると、「結局スマホのソシャゲは「移動」の「無」から逃れたい人たちが続々と沼に沈んでいっているのでは?」みたいなかんじになりました 確かにスマホである程度楽しいゲームができるのはこの「移動」の「無」を覆す画期的なものでめちゃくちゃすごいと思うけど、自分はソシャゲの面白さはゲームの面白さと全く別のところにあると思っているので、「無を覆せても絶対ソシャゲはやらないぞ」と思いました

 

おわり